レオナルド・ダ・ヴィンチと言えば「モナ・リザ」や「最後の晩餐」を描いたルネサンスを代表する画家というのが有名ですが、彫刻、建築、音楽、科学、数学、工学、発明、解剖学、地学、地誌学、植物学など様々な分野に顕著な業績を残し、レオナルド・ダ・ヴィンチは「万能人」と呼ばれています。

私生児として生まれたレオナルド・ダ・ヴィンチの名の意味はヴィンチ村のレオナルドということです。

彼がADHDかも?と言われたのはどういうことからだったのでしょうか。

ADHD レオナルド・ダ・ヴィンチ

レオナルド・ダ・ヴィンチのADHDに関するエピソード(子供時代)

レオナルドの父と母は結婚しておらず、レオナルドがまだ母のおなかにいる時に、父は別の人と結婚しました。

スポンサーリンク

そして5才の頃、子供が生まれなかった父夫妻に引き取られ、父、継母、祖父母、叔父と一緒に暮らすようになりましたが、継母は若くして亡くなり、父はレオナルドが16歳の頃再婚します。

その後父は何度か結婚したようです。

自身の出生に愛の存在を感じていなかったレオナルドは、後に作品を通じて母の面影を追い求めていく様になりました。

レオナルドの幼少期は一人自然の中で遊ぶことが多かったのですが、どんな動物にも自然現象にも飽くなき興味を示し、実に鋭い観察眼を持ち合わせていました。好きとか嫌いとか、美しいとか醜いとか、そんな主観的な判断より前に冷静な観察力を持っていたのです。

子供のころから、レオナルドの書く文字は鏡文字でした。

幼少期の事については、ほとんど伝わっていませんが、家庭的な事とは縁遠かった様です。

レオナルド・ダ・ヴィンチのADHDに関するエピソード(成人後)

レオナルドの素描はたくさん残っていますが、意外にも完成された作品は十数点しか確認されていないそうです。

「モナ・リザ」も「最後の晩餐」も死ぬ間際まで筆を加えていたともいわれています。

筆が遅かったのか、好奇心旺盛で、ひとつの事に集中できなかったのか、理由は色々伝えられていますが、確かな事はわかりません。

そんな多才な面が、彼がADHDかも?といわれた理由かもしれません。

もし彼が、普通の愛情に満ちた子供時代を送っていたら、作品の内容や功績は変わっていたのでしょうか。

スポンサーリンク